見送りには、父と母、そして祖母まで来てくれた。
「気をつけてね」「無理しないでね」「連絡くれよ」
家族にそう言われながら、僕は搭乗ゲートに向かう。
そこで、ふっと足が止まった。
これから1年間、家族に会えない。日本で一人暮らししていた時とは、全然違う。
知り合いも一人もいない、日本語も通じない国に、一人で行く。
そう思った瞬間、急に寂しさがこみ上げてきた。
一人暮らしを始めた時とは違った。
家族とは、いつでも電話できた。実家にも、いつでも帰れた。
でも、これからは違う。1年間、家族に会えない。
20代中盤にもなって、何を言ってるんだ、と思うかもしれない。
社会人を何年もやってきて、営業の現場でも一人で動いてきた。
でもこの瞬間、僕は本当に寂しかった。
搭乗ゲートをくぐる前に、後ろを振り返った。父と母と祖母が、こちらを見ていた。
手を振りながら、笑顔を作ってくれている。
僕も手を振り返して、ゲートに消えた。
韓国での乗り継ぎ
成田からカナダのバンクーバーまでは、韓国経由だった。
仁川国際空港に着いて、トランジットのために移動する。
待ち時間があったので、何か食べようと売店に行った。
ところが、メニューが全部ハングル。
僕はハングルが全く読めない。日本人なのに、隣の国の文字すら分からない。
指差して注文しようにも、何を頼んでいるのか自分でも分からない。
韓国の段階で、もう焦り始めていた。
日本から飛行機で2時間ちょっとの場所で、すでにこんなに動けない自分がいる。
これからカナダで、英語の世界で、1年間生きていく。
不安は、強くなっていた。
いざ、バンクーバーへ
韓国からバンクーバーまでは、約12時間だった。
長いフライトだったから、途中で何度か寝たけど、起きてもまだアメリカ大陸には着いていなかった。
とりあえず誰かと話したくて、Korean AirのCAさんと話していたのは覚えている。
日本語ができる人で安心した。韓国大好きだ。
今、家族が、遠ざかっている。日本から、遠ざかっている。
これから1年間は家族や友達に会えないんだ。
そう思うと、僕は座席で一人で大号泣していた。
バンクーバー到着
バンクーバーには日中に到着した。
入国審査を済ませ、到着出口に着くと、ホストファミリー宅までの送迎の人が出迎えてくれた。
少し日本語が話せる人で安心した。
30分ほど車を走らせ、バンクーバーの住宅街へ向かう。
ホストファミリー宅に到着した。
ファミリー宅には小さな子供や猫もいて、かわいかった。
このとき英語で話しかけようと思ったけど、見事に失敗した。

ホストファミリー宅に着いて部屋に荷物を置くと、
僕は一度ベッドに倒れ込んで、そのまま少し寝てしまった。
バンクーバー初日の夕方
夕方になって目が覚めた。
夕食の時間、ファミリーと食卓を囲んだ。
何を話せばいいか分からないし、英語も出てこない。
「Yes」「Thank you」みたいな単語をつなぎながら、笑顔だけは絶やさないようにしていた。
食事のあと、シャワーを浴びた。
ホームステイのシャワーには時間制限がある。10分以内、と聞いていた。
水道代や光熱費がホストファミリーの負担になるし、ファミリーは5人家族。
たくさん人が入るから長くは入れない。
熱いシャワーを浴びながら、ふと思った。
(浴槽、入りたいなあ)
日本ならゆっくり湯船に浸かれるのに、ここではそうもいかない。
当たり前のことなのに、その当たり前がもう手の届かないところにあった。
シャワーを終えて部屋に戻った。
両親との会話
バンクーバーについて初めて両親にSkypeで連絡を入れた。
実は飛行機がついた時にはメールをくれていたらしいのだが、Wi-fiに繋げずにいてその連絡に気づかなかった。
「無事に着いたよ」と話し始めた瞬間、涙が出てきた。
自然と涙が出てくる、と聞いたことがあるけど、本当に自然に涙が出てきて止まらなかったのは
このときが初めてだった。
両親に心配をかけまいと、最初は画面オフにしていた。
「部屋を見せてくれ」と言われたので、なんとか涙を止めて画面をオンにした。
へえー、部屋広くていいね!と言われた。
バンクーバー初日の夜
通話を終えて、ベッドに横になった。
体は疲れているのに、眠れなかった。時差ボケで、脳だけが冴えている。
知らない国の、知らない家のベッドで、ぼーっとしていた。
時計を見た。日本は今、もう昼を過ぎている頃だろうか。
友達はどうしているかな。
結局、眠れたのは深夜3時くらいだった。
